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坊さん奮闘記1 本願寺派善福寺住職 長倉伯博

■わたしのケア活動の原点・・・二つの出来事

「悲しくてせつなくて氷りついてしまった心に、いくら力を加えても砕け散った氷ができるだけ。氷を溶かすのは温もりだ。温もりが伝わることによって心の氷が溶け始める。その時、患者さんやその「家族に笑顔が現われ、冷たく張りつめていた病室の空気が緩んで暖かくなる」
地方寺院の住職を務めながら、要請をいただいて鹿児島県内のいくつかの病棟の緩和医療のチームに参加し始めて十五年になる。宗教家が医療の現場にかかわるということへの期待を裏切るようで恐縮だが、温もりと笑顔は私のケア目標といえるかもしれない。
どうしてこんな考えにたどり着いたかは、途中で少しは明らかにできると思っているので、今回は、私の原点になっている二つの出来事を紹介することでこの連載を始めてみようと思う。

■「坊さんだけは遠慮してくれ」

本願寺派がビハーラ実践活動研究会を開催し、なんとなく応募したのが十七年前。その時、キリスト教のホスピス医や病院チャプレンをしている方々の講義を聞いて胸に火をつけられて自坊に帰った。そのころ、折よく新聞で「鹿児島終末期医療について考える会」の記事を目にして、早速その連絡先に電話して参加したい旨を告げた。職種を問われ、僧侶と答えると、それまで愛想のよかった応対が急に暗くなり、すでに参加している患者さんや家族に尋ねてみるのでしばらく持てとのことだった。
不安な一週間を過ごし、あらためて電話すると、あなたが悪い人とは思わないが、患者さんや家族が坊さんだけはこの会に参加してほしくないというので申し訳ないが速慮してくれ、という。緑起でもないと思われたのだろう。医療と宗教との溝は深い。今となっては医療者との笑い話になっているが、ここから出発したのである。

■「お坊さんに手握ってほしかった」

もうひとつの出来事は、これとは全く正反対の取り返しのつかない私の失敗である。神経難病を扱うある病院の女性の臨床心理士から、病人の相談にのってくれるお坊さんがいると患者さんに話したら、ぜひ会いたいというので出向いてくれとの要請だった。うれしい半面、患者さんの状態を聞くと緊張した。全く身動きはできず、話すこともできない、聞くことのみ可能とのことだった。
私は自分に何ができるかと自問した。それで、知り合いの音楽家たちに頼んでミニコンサートでも企画しようと考えた。手間取っているときに臨床心理士から電話があった。亡くなったという。愕然とした。彼女はことばを続けた。お坊さんに来てもらえなかったね、と最後に話しかけると、涙を流したという。お坊さんに手を握ってほしかったのだと彼女は話して、曇り声で電話を切った。
病棟に出向く際、忘れることのないふたつの出来事である。

連載にあたって・・・

終末期医療の現場で活躍する僧侶の奮闘記―。今日から、長倉伯博(ながくら・のりひろ)浄土真宗本願寺派善福寺住職(51歳)=鹿児島市福山町=の連載が始まります。日本緩和医療学会会員の長倉住職は、地元の鹿児島で医師や看護師らと「かごしま緩和ケア・ネッチワーク」を立ち上げ、医療チームの一員として患者や家族のケアに日々取り組んでいます。
鹿児島大学と滋賀医科大学の非常勤講師もつとめ、医学生に「医師は患者の最後の友人になってほしい」とアドバイスする長倉住職。スタッフの人間関係が鍵になるという緩和ケアの現場をリポートしてもらいます。

 

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